節目 2021 (1)

大学受験を終えたので、節目として久しぶりに更新します。

 

このブログはスペインでの留学生活や、海外大学進学した時の記録としても活かせると思っていたんだけど、高校卒業から4年経った今、とんでもない方向に人生が進みました。

 

この度わたしは、2022年春から第1志望の大学に進学することになりました。ほかに併願した2校、どちらからも合格を貰い、受験生生活は全勝で収めることができました。このブログは受験期間の出来事を時系列順に記録したものです。書いてみたらあんまりにも長編が出来上がってしまったので、(1)スペイン帰国後〜受験期前半  (2)受験期後半 の2部作にします。

 

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我が家の教育方針は「大学には絶対行きなさい。でもそれが何歳になってもいい。本当に勉強したいことが見つかったらでいい」というもので、他とは違うなとは思っていた。

18歳の頃のわたしは、スペイン留学という同学年の他の子とは別の道を進んで誇らしく思う反面、他と違うことに対してコンプレックスのようなものもあった。「これ出来たらかっこいいじゃん」と「逃げてるのかな、私」という本音が両方混在していた。

 

結局、スペインの大学進学は頓挫。両親の離婚や引っ越しなど紆余曲折あった。2020年2月、わたしは友人の紹介で外資系企業にパートタイム社員として就職することになる。9月にはスペインに行く予定で半年で辞めると宣言していた中で、コロナ禍に陥る。

肩書きよりも実力で評価される世界的企業のシステムに目を輝かせていた入社直後の私は「しばらくはここで頑張って、いつかスペインの大学に進学すればいっかー」と仕事に励んだ。そうして、パンデミックの1年が過ぎた。

 

 

2021年3月 当時好きだった人に告白して振られた。強い自分になる為の縁をくれ!と東京大神宮に縁結び参りに行った。環境を変えようと、一人暮らしを考えたりスペイン行きを再考しはじめた。

スペインで全く働けない(働き口が不安定な)状態で、学費も生活費も4年分ひとりで補う経済力は自分には到底ないと現実を直視する。そして現職場との両立を考え、国内大学に進学することを決意。社会人入試かAO入試の小論文と面接なら自分で頑張れるはず、と幼馴染の母に報告した。このときはまだ、母には内緒にしていた。

母に報告しなかった理由は、母が国内大学に進学することを猛反対していたから。「日本の大学生はバイトばかりで勉強しない。あんたが国内の大学に行ってもバイト三昧になって終わり」と常に言われ続けていた。

 

2021年4月 幼馴染の母が「東京に住んでいた時のマンションの同じ階の子(コロンビアハーフ)が、AO受験専門塾で講師してるから紹介するよ」と会合の場を設けてくれた。彼は定時制高校から都内の名門大学にAO受験で合格していた。その後、講師としてAO専門塾に所属したのだ。彼は講師として10人中9人の生徒を第一志望に通し、今後は独立を考えていた。AO予備校に来る高校生は結局親が経済的に豊かな子が殆どで、色々思うこともあったらしい。タイミングだった。

わたしのそれまでの人生経験をひと通り話し終え、幼馴染の母が「るなが行ける大学はどこですか?」と訊いた。「とりあえず〇〇大学を目指しましょうか。」と有名な大学名を挙げた。それまでの私の人生では考えられないくらいのレベルの大学名だった。「目標は高いほうがいいもんな」くらいのノリで志望校が決まり、AO受験塾のノウハウを持つ彼に、わたしは個人的にお世話になることになった。

 

2021年5月 AO受験は評定がそこまで気にされない分、経験や資格が大切になる。彼曰くわたしの人生経験は「素材(アピールポイント)」があるから、英語資格試験に合格するのが当面の課題となった。英語苦手マンだったわたしは高校卒業程度レベルの英検2級目指した。スペイン生活と外資系企業で横文字生活に慣れた功績か、大きく躓くことなく机に向かうことができた。このあたりで、母も国内大学受験を応援し始めてくれたと思う(知らんけど)。

英語勉強と同時並行で、社会問題のテーマを決め、解決に向けてチャレンジする。自分の父の存在と重ね、外国人労働者の高齢化問題を扱うことにした。

 

2021年6〜7月 英検2級筆記試験を終え、研究を深めるために愛知県へ行った。論文読んでるだけじゃわかんないし、気になった論文書いてる教授に会いに行ったのだ。大学教授と関わったのは人生初めてで緊張したけど、おおらかで優しい先生のおかげで打ち解けることができた。教授にざっくり経緯を話し、関連する企業や団体を紹介してもらった。「なんかあったら頼ってちょうだい。私の名前は使ってもらっていいので」とスーパー心強い存在をGETできた。

その後も休みの度に有識者と呼ばれる人たちにZoomや対面で話を聞いたり、支援活動のために群馬県に足を運んだ。(コロナ真っ只中で褒められた行動ではありません。ごめんなさい!)

 

2021年8月 いよいよ月末が出願締切。出願にあたって用意するものが本当に多くて、ひとつも手を抜けなかった。講師の彼の後ろ盾もあるし、そんなに心配してなかったけど。

簡易速達書留で郵送する出願書類を、徹夜明けの私は思いっきりポストに投函し「出願終了!!」と帰宅。その日の夜にポストに書類が戻ってきて翌日大慌てで窓口に行く。詰めの甘い危なっかしい人間すぎる。お母さんにマジで怒られた。肝冷えイベントを勃発させたわたしは、出願ミスを恐れて寝れなくなるのが恒例現象となった。

 

2021年9月 第一志望の書類審査結果待ちで、併願校への出願準備。併願校受験では、小論文の対策も必要だったから、小論文の勉強を始めた。文字を書く能力が壊滅的にない(コミュニケーション能力に頼りすぎ)わたしには、ここが正念場だった。

 

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(2)に続く!